平素 私のひとりごとコラムは月曜日更新なのですが、endyさんが熊と出会うかもしれないキャンプ?に出かけるので、今回はニ日早い土曜日更新となりました。
今日18日は、「小さな親切」運動函館支部創立30周年記念祝賀会で演奏してきます。
「小さな親切 大きなお世話」という言葉を聞いて唖然としてから何年過ぎたでしょう・・・。
随分と冷めた言葉だな〜と今でもそう思います。
最近起きた悲劇、幼い兄弟が暴行され殺された事件。
「なぜ救ってあげられなかったか・・・。」
近所の商店の店員が子どもの様子がおかしいと気付いて通報し、警察も児童相談所も動いたと報道されましたが、店員さんの機転と親身な対応は生かされきれなかった訳で、とっても悲しい出来事だと思います。
私達が報道によって知らされる事実は極一部なのでしょうが、こういう事件の後には必ず「結果論」の後悔話ばかり。
いろんな人がそれぞれに「小さな心配り」を実行したなら、なんとか防ぐ事ができた事件のような気がします。
ある時、近隣に変質者が出没したことを知り、近所の派出所に電話をしたことがありました。
私「近所に変質者が出没しているようなんです。」
P「何かされたの?」
私「何かが起こらないうちにと思って通報したんです。」
P「何か事件が起きてからじゃないと動けないんだわ〜。」
私「事件が起きてからでは遅いでしょ!起きないうちに見回るとかできないんですか?」
P「忙しいから見回りは出来ないんだわ〜。」
返答はポワ〜ンとのん気な感じ。
非常に腹が立ったことがありました。
住みよい社会にするべく、協力しあって暮らす地域社会でありたいですよね。
ともすると「小さな親切=いらないおせっかい=大きなお世話」になるのでしょうが・・・。
暮らしの中の人と人とのコミュニケーションが希薄になることが、個人的に暮らすには心地良いことなのでしょうかね。
「小さな善意」と「大きなお世話」
この境界線の線引きって難しいですね。
※10月のスケジュールを更新しました。
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