カナコラム  (更新 月曜:かなこ、木曜:endy )

その道に・・・ by かなこ

2005/03/28

今日3月28日は、現在の茶道の原型を完成させたとされる『千 利休忌』ですね。
かなり前のことですが、裏千家の茶道の記念の会で会歌の伴奏を筝で弾くという機会がありました。
「茶道」という重みのある感覚をなんとなく感じつつ、真摯な気持ちで演奏したことを思い出します。
その時のプログラムには
『その道に 入らんと思う心こそ 我が身ながらの師匠なりけり』
という千 利休の残した言葉が筆文字がで書かれてありました。
この言葉は当時の私にとって刺激的な言葉(文字)でした。
以後、常に心の奥底にあります。
学ぶこと、習うこと、の原点はここにある・・・と思ったりします。

先週の25日(金)は、あるパーティ―で演奏してきました。
当初の打ち合わせとは異なる長時間の演奏でした。
一緒に行ってくれた門人のNさんは、この日の演奏時間が予定外に長かったにもかかわらず、慌てることなくアドリブ演奏も加えての「臨機応変」を実行してくれました。
Nさんは様々な場面で一緒に弾いてくれる門人なのですが、咄嗟の判断と咄嗟のアドリブが出来るようになった彼女の成長に、びっくりしたりほのぼのしたり・・・とたのもしい限りでした。
「経験」を自分の財産にしたNさんに「拍手」でした。
松の裏に隠れてまーす。黒子さん、ご苦労様。
昨日27日は、東京の日舞の先生の函館リサイタルでした。
長唄「藤娘」に、私の創作による筝の手を加えさせていただくという、私としては新鮮な舞台でした。
この藤娘を舞う先生は演出をも考えてくださっていて、私は曲の始めは「松」の裏に隠れて演奏し、曲中でその松が移動して私(筝)が現れるという粋な演出をしてくださいました。

過去に長唄や常磐津などに筝の手を加えさせていただく機会は多数経験させていただいていますが、今回の試練?は手合わせが一回だけという事。
前日26日のステージリハ―サル1回しか、手合わせしていただけるチャンスが無い!
本番で上手く演奏できるようにと祈るばかりでした。

「合わせる」のではなく「合う」という事が大切。
ナチュラルな間合いで演奏出来る感性があるのかどうかを試されているようでした。
小気味良い「合口=間合い」の演奏は気持ちが良かったー!

譜面通りに弾けることと、音楽を奏でることとは同等では無いと思っている私ですから、「呼吸=間」の大切さと面白さと楽しさの充実感を味わった日でした。

「その道に 入らんと思う心こそ
      我が身ながらの 師匠なりけり」

しみじみ・・・です。

出前コンサートのリポートをアップしました。

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